特集/コラム

【エリア特集】2006-07-31

モスクワ紀行:クレムリン

7月に入ると、ヨーロッパの各地は観光シーズンに入る。パリは地元の人々は三々五々バカンスに旅立ち、旅行者たちにバトンタッチする。バスチーユ、ルーブル、コンコルド、シャンゼリゼ、そして新凱旋門をつなぐ幹線のメトロ1番線では、座っていると数種類の外国語をまわりで耳にするようになる。クーラーもほとんど設置されていない乗り物を使って、猛暑をものともせずガイドブック片手に忙しそうである。

モスクワ紀行:クレムリン

そんな7月にモスクワを訪れる機会を得たが、もちろん観光客でいっぱいだ。いくら冬は零下30度を記録する北方の地といっても暑い夏の日差しが肌に差し込む。観光地では列にならんで1時間待つことも稀ではない。

クレムリンから地下鉄で2駅、歩いて15分程のホテルに居を構え、気が向くままに街散策してみた。エルミタージュと並んでロシアでは大規模の絵画コレクションを誇るプーシキン美術館、ロシアの芸術家の作品を集めたトレチャコフ美術館、数々のカテドラルなど印象深いが、なんといってもクレムリンとその前にあるレーニンの眠る赤の広場が目玉である。

私たちが大統領の執務をとる館と同義語に使っているクレムリンという言葉はもともと要塞という意味だそうで、ほかにも10程あるそうだ。いわゆる我々の指すクレムリンは、1147年に出来た当時は木造だったそうだが、ナポレオンの侵攻により焼き払われ、現在のようなレンガ造りとなったそうだ。敷地内は米国のホワイトハウスとは趣が異なり、執務をとるための建物だけでなく、ツァーの時代に戴冠式が行われた聖堂、数々の財宝が託されている宝物殿、多目的ホールなどがあって観光場所としても見ごたえがあり、全部まわるには丸1日はかかってしまう。

レーニン廟やクレムリン入り口、またその宝物殿は30、40分待ちの状態で、チケットを買うためだけにでもまた行列に並ばざるを得ない。特に世界最大級のダイヤが飾ってある王冠などのある宝物殿は、団体が旅行代理店を通して券を買い占めているらしく、オーバーブッキングという状態である。10時開館のところが多く、すでに行列が出来ている。理路整然としているらしいドイツからきた人たちはあちこちの行列に閉口していた。ちなみにそれに比べるとラテン系でのんびりしたフランスでは、よく列に並ぶので私はそこまでは気にならなかった。

我々は急遽成立した6人のグループで、前日にホテルのコンシェルジェで英語のガイドを探してもらい、クレムリン見学に向かった。まず、ホテルから15ルーブル(50円相当)の切符を買い改札を通ってかの有名な地下深い15階くらいあるエスカレーターを降りてホームへ向かった。駅によってはまるで美術館のようにシャンデリアがあったり壁画で覆われているものもあり一見の価値がある。地下鉄は全てロシア語のみの表示で、外国人が日本に来て漢字の表示に面食らうごとくイメージで文字を捉えるしかない。ガイドさんがいなければ人に身振り手振りで道を尋ね、なんとか目的地にたどり着くという調子だ。

クレムリン近くの地下鉄駅で降りるとそこは広場になっており、今は改装中のボリショイ劇場などが見える。その広場にある門をくぐるとよく写真やニュースの背景にでてくる赤の広場に行き着く。広場は金曜日以外は午前中立ち入り禁止となっている。レーニンが安置されている大理石の建物の公開が10時からでその間閉鎖されているからだ。9時過ぎには、すでに5,60人の観光客が列をつくっている。1時間ほど並んでセキュリティーチェックを受けた後、15人くらいづつ入場を許され赤の広場の中央に位置するレーニン廟へと進む。

建物の入り口を入るとちょうどピラミッドの中に入っていくかのごとく暗がりの中階段を下りて数メートル下の安置室へ向かうのだが、その間3人のビクとも動かない衛兵の姿がボーっと電球に照らされて浮かび上がり、まるで肖像画のようだ。帽子をかぶっている私に「とれ」と命令する動作をした瞬間に生きている人間だとわかりびっくり。今度は階段を少し上ると、スモークガラスの安置所にまさに蝋人形のような1924年に亡くなったレーニンが今も眠っているかのごとく横たわっている。小柄で薄褐色のこざっぱりしたヘアースタイルと短いひげ、ふっくらとした指、ガラスから2メートルくらいのところを安置所の周りを立ち止まらずゆっくりとあるいて通り抜ける。ほんの2分間の体験なのだが、クレムリンと赤の広場を思い出すとまず頭に浮かぶのがその姿である。安置所を出て外の光を感じると、今度は歴史上重要な人物、スターリンやガガーリンの墓の横を通り見学が終わる。

この不思議な体験を終えると、いざクレムリンへ。前もって朝会館前9時半ごろ買っておいたチケットのおかげでチケットの列にならばずすぐに入ることが出来た。12時から衛兵のパレードがあるとの説明に急ぎ足で向かう。大統領の執務室をバックに、緑の制服とおおきな帽子をかぶった兵隊がやってきた。黄色のレッギングをつけた馬の列も登場し以外にカラフルだ。 クレムリンのツァー時代の貴重な品が飾ってある宝物殿(Armory)は大人気で、入れなかった。切符は個人で行った場合は当日券しか買えないので、時間的な制限のある場合や7月に行く場合は代理店を通して取ってもらったほうが確実だ。人手の少なくなる夕方4時半ごろ行くと余ったチケットが買える場合もあるとガイドのおばさんは言っていた。

しかし、夏の期間は多くの観光客のために宝物殿の一部の宝石等を一般公開しており、2000個のダイヤのついた冠などは見ることができる。 クレムリンでは構内が一般に公開されている間も当然執務が行われており、重要人物の乗ると思われる高級車が建物の前に止まっている。クレムリンの壁の外では衛兵が足を直角に伸ばしながら護衛している。共産圏の名残も垣間見ることが出来、また侵略や革命を寒い冬を偲びながら乗り越えてきた重みを感じることが出来、心に残る旅だった。 しかし押し寄せる自由化の波にかなわず、桁外れに大きな看板やネオンの宣伝広告がクレムリンの壁の向こうに見えたり、広場に大きなホテルが建設中だったりしている。また交通渋滞がひどく、排気ガスのせいか建物もすすけており都市計画が整備されないままに発展していく様子が残念だった。

特集/コラム一覧