特集/コラム

【エリア特集】2006-08-10

モスクワ紀行

モスクワを訪れて強く印象に残ったものが2つある。ひとつは、暑い日に水のボトル片手に道を尋ねながら地下鉄を乗り継ぎたどり着いたロシアの生んだ文豪トルストイが晩年を約20年過ごした家、もうひとつはやっとの思いで買って行って見たボリショイバレエの「白鳥の湖」だ。

モスクワ紀行

トルストイの家

繁華街にある宿泊先のホテルで地下鉄のルートをまず聞いたものの、やっぱり身振り手振りでホームで人に確かめながら二回乗り継いで20分程度で目的地の駅に到達。そこからまた道を人に尋ねながら歩くこと15分、中心地と違い住宅地と工場が混じったような地区にトルストイ(1828−1910)が晩年住んでいた家がある。

普通の通りにある黄土色のペンキで塗られた2階建ての大きな木造だが、裏は公園のようなバラの咲く広々とした庭があり、閑静だ。

ここには、1860年代後半に「戦争と平和」、1970年代後半に「アンナ・カレーニナ」といった大作を書き上げその名が知られた、1882年から1901年を過ごした。今も内装やインテリアは当時のままで、トルストイがペンをとりここでも著名な作品を書き上げた書斎、家族で食事をしたテーブル(セッティングも当時の通りにしてある)、チェーホフなどの同胞を呼んでの朗読会やラフマニノフのピアノの伴奏でシャリアピンが演奏した2階のサロンなど当時の恵まれた文豪の姿が偲ばれる。中には奥さんが清書を行った机、原稿、ドレス、トルストイ自身が作ったブーツなどもありひとつひとつに味がある。こういった環境で、貧富の差や人間のあり方について世界に名を知らせる作品を書き綴ったのかと思うと感慨深い。

白鳥の湖

また、翌日見たボリショイバレエのチケットについては忘れがたいエピソードがある。モスクワ出発の1週間ほどまえに思い立ったのがボリショイバレエ。夏で公演はないかと思いながらインターネットで検索するとなんと夏の公演があるとのこと。しかも「白鳥の湖」が私の訪れる日にあるとこれは英語で書いてあった。英語バージョンのページからインターネットによる予約もできるとのことでクリックするが大事なところでロシア語に換わってしまう。しょうがないので意を決して電話をとった。相手の英語はたどたどしく、私がチケットを予約したい「白鳥の湖」まではああ「スワン・レーク」かと簡単に通じたが、それからチケットの予約までが大変。どうやら券は現地で購入だが予約は3日しかキープしてくれないということらしく、出発前日もう一度電話でトライした。最後には向こうはインターネットで購入してくれと頼んでくる始末。そこをなんとか明日くるからとごり押しして「グッド・シート」をお願いし、OKをとった。

さて到着当日、19時にしまるチケット売り場に15分前に到着したと思いきや、そこはなんと地方巡業の興業のような感じのチケット売り場で券を買いに来る人たちのおば様方の様子も違う。列に並んでいたが、自分の番になるとボリショイはここではないという。隣に英語のわかるロシア人のお姉さんに聞いてもここで買えるはずというのだが、おかしい。すったもんだしていると団体の券を引き取りに来たプロのおじさんがそれは隣だと案内してくれた隣の建物のドアはロシア語で書いてありしかも重厚な木のドアでなかの様子が全くわからない。人攫いに会うのを覚悟でドアを開けるとそこは別天地。素晴らしいバレエの写真が飾ってありスーツ姿の紳士もいて「ここだ」と確信した。無事予約を確認してチケットを手にいれたのは前から4列目で感激した。現在はボリショイ劇場は改装中で残念ながらその中は見られなかったが向かいの劇場もなかなかの建物で中も素敵だった。パフォーマンスもか細いすらっとした白鳥が30羽ほど登場し、プリマドンナがプリンスとのはかない恋を偲ぶところは思わず涙腺が緩んだ。

短い旅だったが、ひさびさに心に残る数日だった。

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