特集/コラム

【エリア特集】2006-10-05

ディープ・インパクトの激走、ロンシャン現地よりの報告

ロンシャンの競馬場は、パリ16区ブローニュの森の南のはずれに位置している。森の東側にはエッフェル塔の先が見え、北側には副都心デファンスの高層ビルが目に入る。実はブランドで有名なロンシャンも、その名は馬具製品を作っていたところに由来し、トレードマークも馬上の騎手を形どっている。

ディープ・インパクトの激走、ロンシャン現地よりの報告

ロンシャンに日本語案内所が

ここでの10月1日の日曜日は、多くの日本人にとってはパリでの待望の日だったが、あいにく朝はどんよりと曇り重たい天気に見舞われていた。日本の誇るディープ・インパクト号が、凱旋門賞を狙って世界にその名を馳せる日であり、この日のイベントは地下鉄の駅にも大きなポスターが堂々と貼られ、フランスにとっても大変大きな行事だった。当日の新聞Aujourd’hui紙には、一面に凱旋門賞の記事が写真入りで大きく出ており、ディープ・インパクトに騎乗する武豊氏の写真も2面を飾っていた。

入り口付近では、スーツ姿の男性や着飾った女性も目につき、ここもイギリスの競馬場のごとく社交の場として成立しているのかと、気後れしながら入場券を買い求めたが、初めて入る競馬場に別段問題なく入ることができた。中ではバンドが演奏していたり、シャンペンのテントがあったり、有名人がインタビューを受けていたりとお祭り気分だ。写真で見たようなすごい帽子を頭につけた着飾ったご婦人方も集まっている。(ちなみに帽子をかぶった婦人は入場無料だそうだが、入場券は8ユーロなので当然帽子代のほうが高くつく。)それを写真に撮る人、馬券を買いに並ぶ人、歓談を楽しんでいる人などでごったがえしている。変わった和服を着た日本女性も数人見かけた。

まず驚いたのは、なんと日本語案内所が開設されていたことである。「ディープ・インパクト号」と書かれ、注文し易いように日本語訳のついた馬券の注文票まで準備されていた。建物内には日本人記者専用ルームも用意され、万全が期されていた。生まれて初めて買った馬券は、武豊氏が乗るディープ・インパクト号の単勝20ユーロ分だ。一枚2ユーロの馬券だが、7レース目の該当馬の1番の数字が輝いている。

「凱旋門賞、ディープ・インパクト 2006年10月1日」の「うちわ」

馬が花道を通りレース場へ出ていく椅子なしの角の場所を陣取ったのが1時過ぎ、凱旋門賞の第7レースまで待つこと4時間、そこにはすでに日本人の観客が数名立っていた。午後1時半から6時過ぎまで8レースが行われる。途中ぱらっと雨が顔に当ると気になり空を見上げた。第7レースが行われる5時半まで、北海道からこのために半年前から企画して仕事を休んで5泊の予定でやってきた2人と、そこで合流したやはり馬が大好きなもう1人の3人のお嬢さんたちにいろいろな話を聞きながらのレース観戦となった。天候が不安定なことについては、どの日本人のサポーターも雨合羽持参で応援をがんばるつもりのはずだと、ディープ・インパクトが最後の瞬間に見せる追い上げを目の前で繰り広げてくれることを信じて疑わず、天候のレース展開への影響に対する不安は微塵もないようだった。

彼女たちのように日本からツアー等でこの日のためにやってきた数は5千人と報道され、6万余の観客のうち推定で日本人のサポーターが1万5千人、彼らがディープ・インパクト号の単勝の馬券を150万ユーロ買ったという。多くの日本人はこの馬券を賭けて儲けるためではなく記念に買ったのだろうが、買っても1.1倍にしかならないこんな馬券の買い方はロンシャン始まって以来だとのことだ。当日朝、開場3時間前から門に並ぶほどの日本人のフイーバーぶりを興味深く報道していた。

イギリスからの観客も相当数いて、スーツを着た紳士や大きな帽子をつけて着飾った婦人はほとんどがイギリス人であり、馬のオーナーもイギリス人が多く、あちらこちらで英語が聞かれた。

レースは、賞金額のあまり高くないものから始まる。前に立っていたお嬢さんの1人が1レース目何となく賭けた馬券が当たったとのことで、次のレース途中で換金しに出かけて行った。戻ってきて話を聞くと、換金してくれなかったとのこと。購入の際レース番号と馬の番号を書いた紙の数字を係りのフランス人が読み違えたとのことである。日本人がしっかりと書く1は下に短い横棒を入れるが、フランス人は1の下には短い横棒は引かず、その1と区別するために7の数字の縦の棒に短い横棒を一本書く。それを知らなかった彼女は日本で書く1と7を書いたので、フランス人の係りはそれを逆に取り違えて馬券を発行してしまっていたと判明した。こんなハプニングも旅の思い出だ。

そのうち、「凱旋門賞、ディープ・インパクト 2006年10月1日」と書かれた、たぶん日本の百円ショップで買ってきたようなうちわがまわってきてますますお祭り気分が盛り上がる。居合わせたフランス人ももらっていたが、多分何が書いてあるかわからないまま記念に持ち帰っていた。

競馬場全体は、音楽もあり綺麗で大人のディズニーランドという感もある。競馬場の前方スクリーンには、映画「アラビアのローレンス」で有名になった俳優オマール・シャリフも登場した。また、馬が勇壮な音楽をバックに入り口から馬場へ向かって駆け出すところはなんとも勇壮で感激、競馬新聞片手にタバコを吸いながらおじ様方が賭け事をする所とばかり思っていたが、天気も徐々に回復し芝のグリーンもさわやかでイメージが一転した。

さて注目の武氏だが、レース前にフランスのインタビューを受け日本から応援しに来ているファンに一言とマイクを差し向けられると日本語で、「世界一を目指して頑張ります。」としっかりとした口調で答えていたのが印象的だった。実は武氏は第7レースだけでなく、2時からの第2レースにスイング・ヴォーター(SWING VOTER―浮動票者)というなんとも不可思議な名のイギリスの馬を走らせた。真紅のユニフォームに身を包み、17番の番号をつけた武氏の馬は、「頑張って」と日本女性の声援を後に馬場に駆けていった。結果は足慣らし程度に走ったのか18頭中入賞してはいなかった。

青空から強い日差しが射すほどになり、前方スクリーンの凱旋門賞の秒読みも終わり、英国から来たというバッキンガム宮殿で見たような赤と黒の軍服の出立ちの4人の衛兵のファンファーレの後、クラッシックな格好の素敵なレディーの乗った馬に先導されて黄色と青と黒のユニフォームを着た武氏と1番をつけたディープ・インパクト号が最初に登場した。もちろん、日本の名馬とトップの騎手にはフランスでも注目していて、前方スクリーンにもまず武氏の大きな姿が映し出された。競馬場に入った馬は、両側スタンドから拍手喝采を受けながらまず右側のスタンド前にその姿を披露し、大きく左へ旋廻して左手スタンドの前を通り奥のスタート地点へ進んだ。この凱旋門賞を争う馬は全部で8頭と少ない。あまりにすごい馬ばかり出るので他は敬遠したとのことだった。現地の評で優勝候補に挙がっていた馬は、シロッコ(SIROCCO)、ハリケーン・ラン(HURRICAIE RUN)、それにディープ・インパクトだった。

そんなとき、フランス人のカメラマンを伴ったNHKのリポーターが現れ、前列の日本女性たちに「派手に応援してもらえばニュースに出ますから頑張ってください」と声をかけた。彼女たちはそれからあわてて化粧直しをして本戦に臨んだ。

祭りの後に

馬の方はと言えば、気分を調整しながらようやくスタートラインについたかと思いきや、8頭が一揆に駆け出した。黄色い声援には熱が入り、振りかざす手にも力が入ってくる。競馬場の反対側がスタートラインになっているので、最初は目の前のスクリーンで行方を見守る。優勝候補の2頭に先立ち、アイリッシュ・ウェルズ(IRISH WELLS)とディープ・インパクトが先行する。2400メートルのコースを半分過ぎカーブを曲がると、こちらからも肉眼で見えてくるようになる。直線に入ったころからアイリッシュ・ウェルズは先頭をディープ・インパクトに譲った。途中1番の番号をつけた馬が出たかと思われたが、我々の前を通るころには残念ながら速度が落ち、ゴール手前150メートルくらいから、レール・リンク(RAIL LINK)とプライド(PRIDE)に抜かれ結局3位入賞に終わり、ディープ・インパクトの持ち味の横からグーッと追い抜く体制にはならなかった。

栄冠を射止めたレール・リンクは、ダークホースだった。初めて乗せた地元出身のステファン・パスキエを騎手に、ディープ・インパクトの後をしっかりと辛抱強く走った。パスキエは、自分はレール・リンクに流れの良いレーンを選んでやっただけで、ディープ・インパクトの後を走ることが出来、馬にスピードを出すよう指示したら馬がそれに答えて自ら最良の状態に持っていったと試合後述べている。パスキエは、武氏が出場した第2レースでも違う馬で走って3位に入賞している。

レール・リンクはアラブのプリンスの持ち馬で、プリンス自身は米国への旅疲れでロンドンからこのレースの模様をテレビ観戦することになったという。この優勝馬の親馬2頭と、その親馬1頭まで持っていて長い年月相当な投資をしての今回の勝利だった。

53日前に仏入りして以来試合を遠ざかり調整に集中し、試合直前は緊張していた(武氏の談)ディープ・インパクトと対照的なのは、レール・リンクが今年4月にデビューして以来最初2位で、その後はロンシャンで凱旋門賞と同じ2400メートルのコースでパリグランプリも含めて3回優勝し、短期間に着実に実践を積み上げてきた馬だったことだ。環境の変化、会場の雰囲気の違い、競馬場そのものの質の違いは、関係者が想像する以上にディープ・インパクトに影響を与えていたのかもしれない。また、優勝候補の3頭が最初飛ばし中盤戦から脱落していったことも、レースの運びとして気になるところだ。ちなみにシロッコとハリケーン・ランは、優勝したレール・リンクと同じで調教師アンドレ・ファーブルが担当していた。氏は凱旋門賞の経験も豊富だった。騎手の作戦も日本人選手とはことなるところがあるのかもしれない。

パスキエは、14歳の時騎手の道を志し、当大会では2002年には8位、昨年は今年も出場したシロッコに乗り7位に入っている。馬、騎手ともにロンシャンでの経験が充実し今回の優勝の下地が十分に出来ていたことがうかがえる。実はパスキエは、今年7月サッカーワールドカップの決勝戦をシャンペングラス片手にテレビ観戦していた際、フランスが最後ペナルティーキックを外したときにグラスを落として手の腱を切ってしまい、医者から全治に半年かかると宣告されたそうだ。しかし凱旋門賞を目前に控え、2ヶ月でリカバリーしてみせたという逸話の持ち主でもある。

過去の記録と比べ、決して速いレース展開ではなかった今回のレースの2分31秒ははかなく終わった。その瞬間、日本人のサポーターは呆然として棒立ちになる人、塞ぎ込む人など全く予期しなかった出来事に一言も出ず、北海道からこのためにやってきた2人は泣き出しうずくまってしまった。そのとき先ほどのNHKのリポーターが再度登場し、「残念な結果になってしまいましたが、感想をお願いします。」とマイクを差し向けた。「よく頑張ったと思います。」と弱々しく答えた1人の日本人の後姿が痛々しげだった。

翌日の発表でロンシャン側は、昨年のこの日に比べ収益が倍になったと発表し, ただ1人上位5頭の着順を言い当てたピレネー山脈の競馬ファンは、元手わずか3ユーロで史上最高額の約5.5百万ユーロ(約8億2千万円)を獲得した。

翌月曜日は、冷たい雨がぽつぽつと降るどんよりとした冬空のような天気に見舞われ、すっきりしない一日だった。あのお嬢さんたち、パリ観光のはずだが気落ちしてなんとなくうつろに過ごしているのではないかと思うと気の毒だった。2006.10.3 (N.Suzuki)

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