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【エリア特集】2007-07-04

ヨーロッパ紀行:ブダペスト

パリから飛行機で約2時間、アルプス上空を越えてウイーンからドナウ川をなぞるように東に抜けてスロバキアを通り、その川がほぼ直角に曲がったところにハンガリーの首都、ブダペストがある。

ヨーロッパ紀行:ブダペスト

南北25キロメートル、東西29キロメートルの都市で、いわゆる市街そのものは小さい。減り続けても今なお170万人代の人口を保っている街とはとても思えないほど、のんびりとした街並みだ。ブダペストの目抜き通りにはカフェ、デパート、高級ブティックが立ち並んでいるのに、今ひとつ気分を高揚させるものがない。観光の名所となっているオペラ座なども、それなりに立派だが規模も小さくウイーンのオペラ座の二番煎じという感は否めず、他のヨーロッパの諸都市を巡った後だと何となく物足りない。1989年に旧東欧の体制から脱皮してすでに20年近く経ったものの、今だに経済復興の途上にありいわゆる西欧諸国との所得格差などギャップを埋めきれないためだろうか。

通りが何となく寂しく感じられるのは、1950年代に革命派を鎮圧しようとした旧ソビエト軍による武力抗争の爪跡の残る建物や、社会主義下で街のインフラや建物の外観のメンテナンスに力を注ぐことなく、汚れて黒ずんだままになっている建物によることが大きい。

また過去の傷跡は、他のところにも癒えずに残っている。第二次世界大戦も終わりに近づいたわずか三ヵ月という短いナチの独裁下で、数十万人のユダヤ系ハンガリー人がアウシュビッツなどの強制収容所に送られたという悲しい出来事である。世界で2番目、ヨーロッパでは最大と言われているブダペストのシナゴーグの中庭には、金属で作られた大きな柳の木の形をした記念碑があり、その葉一枚一枚には強制収容所に送られた人々の名前が刻み込まれている。同じ庭には、スウェーデンの外交官など当時ユダヤ人をナチの手から救った人々の功績を讃えた碑も立っている。また、シナゴーグの傍らには当時ゲットーとして使われていた長さ30メートル、幅10メートルくらいの敷地があり、2,000人ともいわれる人々が冬を越せずに凍死したという跡地がそのまま残っていた。そういう悲しい過去を見つめながら、一歩一歩発展しようと頑張っている人々の姿は印象的だった。

実にこの都市は様々な体制の支配を経験してきた。ウラル山脈から移住してきたマジャール民族が居住し、11世紀のハンガリー王国建国の後、13世紀にはモンゴルからの攻勢を受け、その後オーストリアによる支配、第二次世界大戦中のドイツ軍の侵攻、そして旧ソビエトの下で1989年まで続いた社会主義の中を生き抜いてきた。ガイドさんの説明も、自ずと歴史と政治に熱が籠る。その口調に耐乏生活に苛まれたことへの怒りが込められていると感じられるのも無理はない。

そんな中で、街の中央を走りブダペストをブダとペストに分けるドナウ川は、雄大で時代の変遷の証人として変わらず流れ続けてきた歴史の重みを感じさせる。高度一万メートルの上空からでも雲の間をぬって見える姿は堂々としている。ドイツのシュバルツバルトからオーストリアを通り、スロバキアを抜けてハンガリーへと入り、ブダペスト近辺でほぼ直角に曲がり、その後南東へ抜けルーマニアに続く黒海へ注ぎこむ。全長約2800キロメートルというから、日本でいえば北海道から九州まで十分カバーできる距離だ。

週末、燦燦と照る太陽の下でのブダ側川岸の散歩は、その姿にロマンを感じ抒情詩や名曲が作られてきたことに頷ける、そして数々の試練を生き抜いてきた街の逞しさが伝わってくるひと時だった。(2007.7.2 n.suzuki)

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