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【エリア特集】2008-04-11

パリ散策:マリー・アントワネット展

4月に入り花見客の姿が日本各地のニュースを賑わせていたが、パリでは日本の桜開花宣言を待たず3月半ばにして満開を迎え、木々はすでに新芽を吹いている。かといって決して暖かいわけではない。陽気が訪れたかと思うと翌日は急に冷え込み、昼間でも5度を下回りオーバーを羽織る始末だ。パリの桜の開花が、緯度が高いにもかかわらず毎年日本より早いのは、気温の変化が激しく朝グッと冷え込み桜のつぼみを目覚めさせるからだそうだ。

パリ散策:マリー・アントワネット展

さて、パリではこの桜の訪れと共に3月半ばから各美術館の催しが刷新され、バカンス前までの後期シーズンが始まった。今回訪れたのは、マリー・アントワネット展で注目を集めているグラン・パレだ。シャンゼリゼのコンコルド広場寄りに位置するこの建物は、近年大ギャラリーの改修を終え、大きな催しが複数同時に開催されるようになった。大きなガラスのドームが、1900年頃のベルエポックの時代を偲ばせる。セーヌ川越しにはナポレオンの墓を安置するアンヴァリッドの黄金のドームが見える。

今回の展覧会では、オーストリア出身の悲劇の王妃に由来する絵画、調度品約300点がヨーロッパ各地から取り寄せられ展示されている。会場を、マリー・アントワネットの一生を描く芝居の舞台に見立て、4部構成で王妃の数奇な運命を、美術品を鑑賞しながらたどるというものだ。物語は、1765年に生まれ14歳まで過ごしたオーストリアでの快活な少女時代に始まり、フランスに渡り結婚し18歳で王妃になるまで。王妃として輝かしい日々を送る30代後半まで。最後に、革命で囚われの身となり断頭台に立つ1793年までの4幕だ。ベルサイユ宮殿内のオペラ劇場で結婚式を挙げた時代の部門に入るときには、舞台さながらのブルーのカーテンを潜り抜け、王妃時代に憩いの場として過ごしたプチ・トリアノンの場面では、トリアノンのテアトルの中にいるようなデコに仕上げられ、通常の展覧会とはちょっと違った趣向が施されている。

それぞれの時代には、印象に残る作品とエピソードがある。結婚の話がルイ16世の父親ルイ15世から持ちかけられ、母親のマリア・テレジアがフランスに送った14歳当時のマリー・アントワネットの肖像画もそのひとつだ。今で言う見合い写真で、それを見てルイ15世は息子の結婚相手として納得したそうだ。その後に作られた胸像数点を見ても、どれもすっきりとした面長の顔立ちで、すらっとした少女だったようだ。

オーストリア時代を偲ぶ調度類のひとつとして、母親である女帝マリア・テレジアが寵愛していたという、漆に金箔を施し日本の庭園をあしらったキャビネットがある。後にマリー・アントワネットは母親が亡くなった翌年1781年に50品に及ぶやはり日本の漆に金、螺鈿をあしらった数々の小物を形見として譲り受けている。江戸時代の鎖国の中、海を渡ったと思われるこれらの作品が、複数の王妃によって愛でられたことに驚く。また、その後彼女が誂えさせた調度類として、繊細なデザインの金箔の飾りが施された飾り台や螺鈿で覆われた机など素晴らしい作品が展示されていた。彼女のテイストが、母親から譲り受けた日本の漆塗りの作品と無関係ではないことが感じられ印象的だった。

早くも10代半ばで結婚し、遠いフランスの地で宮廷生活に喘ぐ王妃に、ルイ16世がプチ・トリアノンをプレゼントするのだが、そこには王妃が、自然を贅沢に堪能できるように人工の小さな滝をつくりその下に橋を渡したり、いろいろな種類の動物が飼われている集落(Hameau)を作らせたりしている。子供を連れて遊びに来ていたそうだ。緑豊かで動物園まである夏期過ごしたウィーンのシェーンブルン宮殿での幼少時代を偲んだのだろうか。また、自分が小さいときに習ったダンスを思い出したのか、トリアノンの一角にはテアトルを造り観劇をこよなく愛したそうである。贅をつくしながらも満たされない空虚感をウィーンでの少女時代を思い出しながら埋めようと懸命だった王妃の姿に思いをはせた。

この展覧会は、6月末まで行われている。(N. Suzuki 2008. 4. 10)

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