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【エリア特集】2008-07-01

サンクト・ぺテルスブルグ

白夜がピークを迎える夏至を、バルト海に臨むサンクト・ぺテルスブルグで過ごした。

サンクト・ぺテルスブルグ

6月下旬で20度前後の気候は、ちょうど日本の5月のさわやかな日々を思い出させ、青々と茂る緑が美しかった。夜中1時半になっても夕暮れが続くこの地では、年8ヶ月は冬、昼間中太陽の照っている日が年間1ヶ半から二ヵ月と言われる中、短い夏を少しでも楽しもうと真夜中も人々が出歩いている。カテドラルの展望台も明け方4時まで開いていた。

 

この地でなんと言っても有名なのは、面積が世界一と言われている宮殿を美術館にしたエルミタージュ。各国から訪れる人々の間をくぐって、宮殿の美しさと数々の美術品を鑑賞した。この他にも、宮殿が60近くあるそうで、そのうち二つを拝見したが、どれも美しいシャンデリアで飾られている。長い冬の夜シャンデリアが人々の心を暖めていたのだろうか。

 

この街の歴史は比較的最近で、18世紀初頭にピョートル大帝が要塞を築くために建設した街だという。当時はすでにベルサイユ宮殿などの豪華な王宮が建てられており、西欧に追いつけ追い越せとイタリアから建築家を呼び寄せたというから、当然街には西欧的な雰囲気が漂っている。当時の王家では外国から妃を迎えるのがノーブルだったそうで、ドイツ系の妃もおり王宮の内装もウイーンのシェーンブルン宮殿などドイツ語圏の建物に似てマホガニーなどをふんだんに使った落ち着いた雰囲気を呈していた。

 

その華やかな宮殿の思い出の一方で、今だに心の底から消えないストーリーも聞くにいたった。フランス人のグループに同行してフランス語を教えていた70歳前後のロシアの夫人の古びたアパートでお茶をご馳走になる機会があったのだが、3世代同じアパートに住んできたというこの夫人は、第2時世界大戦当時だけでなく、近年は自由と解放をイメージさせるゴルバチョフ政権化のペレストロイカの中、飢饉のため想像を絶する食糧難の話をとくとくと語り、我々を愕然とさせた。わずか十数年前の話である。

 

ショックも覚めやらないうちに、ガイドを務めた三十代前半の女性も自ら生活の厳しさを我々に洩らした。フランス語の先生をしているのだそうだが、平均月収(800ユーロ前後=13万円相当)に満たないため、休みの日に翻訳やガイドをして何とか暮らしているのだそうだ。大学三年生の女の子がメトロや市場などを案内してくれたのだが、彼女の話では学生の1ヶ月の生活費は450〜600 ユーロ(約7万〜10万円程度)だそうで、市場で売られている品々はユーロ圏とそう値段が変わらない。多分教育を十分に受けられるゆとりのある層とそうでない層とにかなりの格差があり、その下の層がかなり厚いようである。

 

先に述べた夫人は、ロシアの不安定な生活を逃れフランスで暮らしている息子さんを訪ねたことがあるというので、その印象を問うと、「フランスは"Très très riche…”」(フランスは本当にリッチRiche…)とため息ながらに答えた。今だにその言葉が心に残っているが、パリに戻ってみるとソルドが始まり、クレジット・カードを気にせず使っている人ごみに混じって、正直ほっとした感がある。パリから飛行機でわずか3時間半、単に生まれた国が違うというだけでこんなに環境が違うのかと、自分が置かれた環境の有難さを身にしみて感じている次第である。2008.06.29 (N.Suzuki)

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