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【エリア特集】2007-12-16

九州「じゃんがら」ラーメン 代表取締役 下川高士氏

九州のとんこつ味がまだ東京でなじみがうすかった昭和61年、秋葉原店に続き原宿店をオープン。

九州「じゃんがら」ラーメン 代表取締役 下川高士氏

同店は今年で開業22年目。とんこつラーメンの草分け的存在で、いまや東京で知らない人はいないほど。原宿表玄関の顔といってもいい繁盛店だ。土日は千人を越す若者らが行列、店内は威勢のいい掛け声とともにお客でごったがえす賑わいだ。

昭和29年、東京の駒場育ち。小学校3年生の三学期、両親の離婚で母親の故郷の熊本県玉名市へ。小、中、高校を玉名で過ごし大学は再び東京へ。内科医だった伯父さんの手伝いをしながら、女でひとつで大学までいかしてくれた母、芳野さん。卒業後はヤクルト勤務を経て補習塾「ブルカン塾」を仲間と立ち上げた。きっかけは、早く経済的に確立、母親を東京によびよせたいとの強い想いだった。3教室、最も多いときで約400人の塾生がいたが、熱心な生徒などからは追加授業料など要求できず、経営的に安定しない状態であった。

 

こうしたなか、何か自分たちでできることはないかと試行錯誤。故郷・玉名のおいしいラーメンが思い浮かんだ。コアなメンバーたちからは有名私立大学をでたのに、なぜラーメンなのかと反発はあったものの、塾の経営的な問題を含め時間をかけて説得した。ただ、まったくのど素人。どうしていいかわからない。まず職人をさがそうとツテをたよったところ、スタッフの遠縁に長崎しっぽく料理の料理人がいた。強引にくどきおとし、東京まできてもらい徹底的に指導をうけた。

 

野田さんというその職人さんは、スープを煮込んでいる約八時間の間、立ちっぱなし。椅子をすすめても座らない。鍋の前も離れない。塾の運営をしながらのラーメン作りの指導をうけるのは大変な作業だったが、プロの職人魂をみせてもらい大変勉強になった。

 

昭和59年、1号店の秋葉原店をオープン。メインはあっさり味の「じゃんがら」ラーメン。経営は順調で二年後に原宿店をオープンした。ただ、口さがない九州の客から「この味は九州じゃなか。にせものたい」といわれたことが何回か。指導をうけた野田さんが長崎出身だったことから、こってり味の玉名、博多、また熊本中心部の味ともちがったあっさりしたものだった。このため九州北部の味を再現したいと没頭。「こぼんしゃん」(フランス語でいいふるさとという意味)を開発した。

 

現在、秋葉原、原宿、赤坂、日本橋などに六店舗。従業員は正社員70人、アルバイトなど含めると約200人。年商はグループで約14億。秋葉原の店は八坪しかないが、売り上げはナンバーワンだそうだ。原宿店の二階は昨年12月改装、お酒がのめるカフェ風にした。80歳になった母・信子さんはいま同店1階で毎週月、水、木、土曜日の午後3時までレジに立ち、元気に働いている。

 

趣味は神宮球場での大学野球観戦。奥さんと長女・次女、母・芳野さんと世田谷で5人暮らし。今後の展開はいま、模索中。夢は「世界をみてまわりたい」。53歳。

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