特集/コラム
「One Second」理論で世界へ 所 幸則さん(写真家)
「ホームタウン・渋谷の街に向かい、1秒(One Second)という時間経過の中に起こる事実を、1枚の写真で表現することにした。時の流れの無情さとその儚さを表現するために」――写真家・所幸則が、「第2期」として2007年から展開している写真理論“One Second”(1Sec.)のアーティストステートメントである。その写真集「1Sec.01」が先ごろ出版され、来年からは、いよいよ世界へと羽ばたく。
「1秒―私は世の中の様々な事象を、1秒で区切りたかった。1秒という物差しを提示することによって、時間への意識を、見るものと共有したと考えた」――これが新たな写真表現の、そして創作哲学の始まり。2007年が「第2期・所幸則」のスタートである。
シャッター速度は、今や1000分の1秒といった単位の時代。だが、これでは人間の目では、まず認識できない。そこで、6分の1秒から10分の1秒で3連写し、それを重ねて1枚の写真にすれば、1秒間の微妙な変化を表現できる。これが「1Sec.」の技法であり、理論でもある。
「第2期」というからには当然、「第1期」がある。「あれは“双子の弟”がやっていたこと。兄の自分は進化して、もっと先へ進む」。ひとりっ子だから、双子の兄弟など、いるわけもない。全くの比ゆ的表現なのだが、第1期と第2期とでは、ガラリと作風が変わっている。素人目にも歴然としているのは、以前は、派手な色彩の不思議な写真であったが、今度はモノクロで、リアリティーにあふれていること。
写真の世界では名も知られ、売れっ子だったにもかかわらず、なぜ転進を図ったのか。当時の写真は、広告に使われることが多かったが、「自分では不出来だと思っていても、担当者は喜んで持って帰る。逆に、上出来だと興奮していても、相手はシラっとしている」。企業の広告とは、そういうものか。2人3脚で歩んできた有能なマネージャーが、2002年に、若くして病死して以降は、年ごとに鬱屈した思いが募っていった。
一方、パリにいる画家の友人は、本当に絵の好きな人が買ってくれて、豊かとは言えないまでも、悠々と生きている。「企業献金よりも、個人献金の方が、まっとうな気がする。この生き方の方がいい」。
どっかりと地に足をつけ、人間を見下ろしているように見えた渋谷だが、しばらく撮り続けることで、渋谷という街の風景全体がめまぐるしく変わり、建築物でさえ、その例外でないことに気づいた。東京の“今の姿”を最も顕著に表現し続けている街・渋谷とはいえ、「街の儚さに気づいたとき、地球ですら、その例外ではないことに想いがめぐり、突然、めまいを覚えた」という。2007年には、「その儚さを表現するには、1Sec.の技法以外では不可能」という結論に至る。
2008年6月から9月までの作品を収録した写真集「1Sec.01」は、写真仲間たちがオリジナルのプリントを買ってくれて、いわば“私家版”のようにして発刊されたのが嬉しい。友達の輪は、確実に広がっている。
「1Sec.感染者」たちが9月20日から連続的に行なわれている「所幸則 1Sec.写真集出版記念展」に集い、そのパート4ともいうべき写真イベント(音楽と文章と人と映像と素材と)は10月20日〜11月1日、東京・目黒の「ギャラリー・コスモス」で開催される。そのトークショーには雑誌編集長、書店主、建築家、内科医、キュレーター、東大特別研究員、音楽家、写真家、写真評論家らが、次々と立つ。
1Sec.理論が認められて、今度は海外の街を撮影する企画がいくつか持ち込まれている。変貌する中国の街の写真集が提起され、今夏には上海、北京に取材旅行した。その写真展は来年、現地で開催の予定で、前後して写真集も。来年にはもうひとつ、パリを拠点に、世界6カ国の街を撮影する大きな企画が待っている。
1961年、香川県高松市生まれの48歳。小学3年からカメラを操り、高卒後は大阪芸術大学の写真学科へ。2年生の後半から写真集がけっこう売れるなど、半ばプロ活動。卒業制作が写真コンテストに入賞して、テレビで全国放送されたことが、プロへの後押しとなった。
それ以降、東京・渋谷を拠点に、原宿、表参道から全国へ。さらには世界へと、活躍の舞台は広がっている。 「台東区と間違えられる」という渋谷区鶯谷町の自宅兼アトリエに、妻、大学4年生の娘と3人暮らし。
「ピカソは、ピカソひとりに価値がある」わけで、写真哲学は「所の1 Sec.理論は、所ひとりでいい」。