編集長ブログ

【時事】2010-03-05

批判を畏れず挑戦を-日本を支えた企業戦士達

 ペガサスクラブ。一九六二年(昭和三七年)当時、読売新聞記者だった渥美俊一氏が囲みで「商店のページ」(中小企業)を担当、高度成長前で元気がなかった日本の商店主たちにハッパをかける内容の記事を連載。同氏のファンになった商店主ら十五人で結成された研究母体だ。
 渥美氏と商店主らは外貨持ち出し制限も厳しい状況のなか、米国に渡り先進国のスーパーマーケットなどをみて周った。帰国後、この商店主たちは、見ようみまねで小さな雑貨屋(スーパー)を開業。それが現在のイトーヨーカ堂、ダイエー、イオンなどの大手流通、量販店の原点だ。
現在、同クラブは小売業だけで四〇一社、約三万店。年間総売上高約二三兆円、全国小売業占拠率二四%の国内最大の会員制経営研究団体(ホームページから)だそうだ。
 これより少し前の一九五九年(昭和三四年)。ロサンゼルスの市街地にホンダの二輪販売店がオープンした。五〇CCのバイクだけを扱う小さな店が米国進出の第一号店。ホンダはその後、七三年に四輪の「シビック」を発売。同車は「CVCC」エンジンを搭載、規制の厳しかった米国マスキー法(大気汚染防止法)などをクリアー。低公害で燃費のいい車ということで高く評価された。私がDCにいた八八年頃も日本車といえばホンダであった。米国の友人から「いい車だ」といわれると、何かしら誇らしげになったものだ。
 内需型のスーパー産業と外貨を獲得、米国マーケットを開拓する自動車産業。敗戦の焼け野原からおよそ一〇年でその「挑戦」は始まっていた。
 当時まだ豊かではなかった日本にとって米国市場の開拓は、まさに企業の命運、あるいは「日本国の」といっても過言ではないマーケット。日米繊維問題、IBMのスパイ事件、セクハラ訴訟、日本製品のボイコット騒動などまさに米国との商売の歴史は、摩擦の連続。現在もアメリカでの政府・マスコミあげての「トヨタ」バッシングはすさまじいが、決してねをあげることはできない。
 「挑戦」故・本田宗一郎氏の語録にもある言葉。当時の日本にとって米国市場の開拓は、富国への重要な布石であった。いまの若者たちは知らないだろうが、高度成長時代は、世界から「エコノミックアニマル」と呼ばれ、バッシングを受けたが、挫けるほどやわではなかった。そこには、この国を支えるのは俺たちだという企業戦士たち、官僚たちの「危機感」とともに「大義」があった。
 デュバイ、ニューヨークとたて続けに出張してきたが、マスコミ報道とは裏腹に元気だ。街のパワーは健在。中国、インドなどの諸国もかつての日本人のようにパワー全開で急追、人々も自信を持ち始めてきた。日本がなくしたものはなにか。かつての野性味はなく、みんながききわけのいい優等生のようになったことか。批判をおそれず「挑戦」していかなければ、その成長はなにも望めない。
 

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