編集長ブログ

【時事】2009-01-30

ネットビジネスの勝者供GOOGLE)

 ヤフーのライバルはエキサイトだった。Eメール、カスタマイズなど両社は新サービス導入の競争に明けくれた。このため、検索機能が次第に低下、いくら検索してもヒットしないサイトになってきた。
 ここで登場したのが同じスタンフォード大生のラリー・ペイジ、セルゲイ・グリンのグーグルだつた。グーグルとは10の100乗の数学用語「グーゴル」から名づけられた。
 誕生のきっかけはペイジの天才的なひらめきだった。ただ、内容はいたってシンプル。ウェブはいわば毎日が人気コンテストのようなもの。AからBにリンクされるというのはAからの推薦状のようなものでページの重要性はリンクの数をかぜえればいいというものであった。
 こうして登場したグーグルは、1998年当時スタンフォード大のサーバーに設置されていたが、またたくまに大評判となり大学のサーバーがダウンしかけるまでになった。
 当時はITバブルの絶頂期。すぐに投資家がみつかると思われたが、難航。サンマイクロシステムズ設立者のビノ・ドコースラが宿敵ヤフー打倒のためエキサイト(氏は同社への出資者)を紹介したが、交渉は決裂。グーグルの価値が見抜けなかった。グーグルはどこへいっても門前払い。2人は必死だった。すごい検索技術があるのに誰も見向きもしない。
 救いの手を差しのべたのはベクトル・シャイム(投資家)だった。すぐにその価値を見抜いた彼はその場で10万ドル(1千万円)の小切手を切った。さらにジョン・ドーア(ベンチャーキャピタリスト)が1200万ドル(12億円)を出資、セコイヤも同額を出資した。
 ただ当時の利益はゼロ。毎月約50万ドル(5千万円)の経費が消えていった。どうやって金儲けをするのか。ページとグリンはユーザーの使い勝手が悪くなるため広告バナーを貼るのは断固反対だった。悩んだ2人は他人からアイデアをもらおうとビル・グロス(ウェブ広告、オーバーチュア運営)と面談したが、決裂。数ヵ月後の1998年、似たような検索連動型広告「アドワーズ」を立ち上げた。このためグロスとは訴訟沙汰になったが、示談で和解した。
 2004年8月、グーグルはナスダックに上場した。すでに米国のITバブルは崩壊していたが、予定より15ドル高い一株100ドルの値をつけた。その後は、誰もが知るように急成長。2人は世界の長者番付トップ30に入るまでとなった。
 ただ、ここ数年グーグルはグーグルマップ、同アースなど新サービス導入とともにYOU TUBE,PICASSOなどを買収、巨大な投資を繰り返してきた。
 こうしたなか、ヤフーも検索、広告機能を強化、さらにバイアコム、ニューズコーポレーション、マイクロソフトなども敵に回し、反グーグルの包囲網がつくられてきた。「本当の正念場はこれからだ」と同番組は指摘していた。
 















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