編集長ブログ

【時事】2011-02-21

誇り高き職人の「志」を!! -変貌する国際社会の中で

 その日は、数十年ぶりの記録的な大雪の日だった。近く米国に行くために、忙しい合間を縫って初めて英会話の教室に参加したときのことだ。聞き取れない英語に戸惑っているなか、ポケットベルがけたたましく、鳴った。用件を聞くと、「詳しい情報はわからないが、どうやら炭鉱で事故があったらしい」。授業を中座、外にでてみると深閑とするなか、数十センチの雪が積もっていた。
 1984年(昭和59年)1月18日夜のことだ。事故は、三井三池炭鉱有明鉱で同日午後発生。旧式のベルトコンベアーに堆積した炭塵に着火、坑内火災が発生し、およそ600人は自力で脱出したものの、逃げ場を失った83人が一酸化炭素中毒で死亡した。戦後4番目に大きい炭鉱災害。1963年(昭和38年)11月9日に発生した死者458人、一酸化炭素中毒者839人をだした三川抗の炭塵爆発に続く三池の悲劇だった。
 福岡県警は、ただちに現地に捜査本部を設置、火災発生の原因を突き止めるため、現場検証に乗り出した。
 現場といっても坑口から約3キロ。海面下220メートルの地点。トロッコ電車で、立て坑といわれる坑道を45度ぐらいの傾斜で降下、採炭現場まで片道1時間から2時間の道程だ。当時、駆け出しの記者だったが、この事故の一年前ぐらい前に会社側と交渉の末、記者クラブとして坑内にもぐったので、国内ではおそらく稼動する炭鉱に入った最後の記者になった。
入坑した捜査員は数十人規模。慣れない坑内の現場検証は難航、1ヶ月以上の時間を要した。毎朝、作業着姿で本部をでていく捜査員たちを呆然と眺めていた。
数ヶ月に及ぶ刑事捜査の結論は、不起訴処分。鉱山保安法(坑内は会社の私有地)の壁にはばまれて、起訴さえもできず、刑事責任を問えなかった。そのとき、現場を指揮していた強行犯係長が私にぽつりとつぶやいた。「悔しい」。このひとことは、数十年たったいまでも忘れることはできない。
 「社会正義」などというと、口幅ったいが、この頃の捜査員や私たち記者たちは、事故原因を徹底的に究明するとともに、責任の所在を明確化、二度とこうした事故を起こさせてはならないという使命感があった。遺族たちの悲しみも心を切り裂いた。私たちは現場にも入れなかったが、捜査員たちは火災発生直後の危険な現場で検証、文字通り「からだ」を張っていた。
高級官僚、警察官など公務員の給料は本気で働いている人ほど高いとはいえない。彼らを突き動かしているのは、金銭などではなくその「志(こころざし)」ではないのか。幸いにも私は、不祥事などで世間をにぎわす組織の「異端児」の知り合いはいなかった。ほとんどの取材対象者は、組織を愛し、また憂う「職人」であった。記者と捜査員。ぶつかる部分は当然あったものの、こうした大きな事件・事故のときは心の奥底でお互いを認め合う部分があったのは確かだ。あれから20年以上が経過。いまの捜査員、記者たちの質はどうかわからないが、その心はなくしてはいないはずだと信じたい。
 政界に目を転じると、何かいびつな金がらみの話ばかりだ。企業献金をなくし政治と金の問題をきれいにするという趣旨で始まった政党助成金ならば、政党がなくなったら、国に返金するのが筋。その金は国民の税金なのだ。問題なのは、そこに「公」に関する論議はほとんどない。「私」にまつわることばかり。日本国という「企業」の社長、役員である政治家はまずこの国のことを考えるのがその仕事。貿易という仕事柄、海外にはよく行くが、これだけ内政ばかりに終始する国も珍しい。世界はグローバルに躍動しているのだ。このままでは世界から取り残されていくのは、必至の状況だ。保身に右顧左眄、そこにこの国のことや、国民のことを考えている姿は感じられない。現場の人間たちは戦っているのだ。
 政界、官僚、警察などの組織・機構でどれだけこの国の将来や、組織のことを本気で考えている人間がいるかどうか。からだを張って戦える「男たち」がいるのか。日本の浮沈は、こうした戦士たちの如何次第といっても過言ではないだろう。

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